Malgré la nuit

Review of unpublished films in Japan.

デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス The Return』Part.5-8

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 ついに日本でも第4章までが上陸した『ツイン・ピークス The Return』。第3章以降は、意識を剥奪されたクーパー捜査官がダギー・ジョーンズという名の男の日常世界に迷い込み、夢遊病者のように振る舞うことで物語が展開する。第5章以降は、そのダギーが勤めるオフィスへと舞台が拡大し、さながらオフィス・コメディ的な展開を見せる。正直、ここ数章のコメディ路線には飽きかけていたのだが、それを一掃して余りある衝撃的映像をもたらすのが第8章。

 第4章以降、拘留されていた拘置所から第7章の終盤に解放されたダークサイドのクーパーは、第8章の序盤で自身を裏切った仲間に撃たれてしまう。シーズンの中盤に主人公が撃たれるという展開も衝撃的だが、この場面で撃たれたクーパーに群がる謎の黒い影たちの存在に唖然とする。その後、舞台は『ロスト・ハイウェイ』(1997年)にも携わったナイン・インチ・ネイルズが演奏するロード・ハウスへと移行し、撃たれたクーパーが蘇生する場面を経由して、トリニティ実験が行われた1945年7月16日のニューメキシコ州ホワイトサンズの早朝の海岸へと至る。

そして以後の映像は、悪夢的とも幻覚的とも言える、説明不在のVFXに支配される。海外の批評では、デヴィッド・リンチ版『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)と形容されていたが、個人的には、ギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』(2009年)を想起した。とにもかくにも合理的説明を拒絶するような展開を見せる悪夢的は映像は、まさしくデヴィッド・リンチ的で、本作の主役であるカイル・マクラクランすら置き去りにして展開する後半のモノクロの映像は、『イレイザーヘッド』を彷彿とさせるシュールな悪夢と呼ぶに相応しい。

この第8章は、全18話に渡るこのシリーズの言わばインターミッション的役割を担う章と言えるが、それまでの展開とは一線を画す、このシリーズの世界観をリセットしてしまうほどの衝撃でもって、後世に語り継がれる伝説の回となるはず。『イレイザーヘッド』を彷彿とさせるモノクロの悪夢は、デヴィッド・リンチによる自身の映像史の総括にも思える出来栄えで、このシリーズ全体に点在する過去作へのセルフ・オマージュと共に、この『ツイン・ピークス The Return』がデヴィッド・リンチの集大成的傑作であることを証明している。

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 実は、この第8章で不意に訪れた悪夢は、第7章で断片的に予告されており、例えばデヴィッド・リンチ自身が演じるゴードン・コール捜査官が口笛を吹くオフィスには、前述したトリニティ実験の巨大な写真が飾られている。また、ブリックス少佐と推測される死体が保管された安置所の廊下には、第8章の後半に登場する浮浪者と思われる男が横切る場面が挿入される。

この反復的演出は、デヴィッド・リンチの言わば得意技で、本作のみならず『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』(2001年)などでも作品に謎を生んで観客を煙に巻く演出として繰り返し使われている。本作の第5章から第8章においても、異なる地点と人物によって何度も発見される硬貨など、この反復されるファクターは、幾つも列挙できるが、このような要素は、おそらく世界中のファンが血眼になって探しているはずなので、ここでは個人的に印象に残っている場面を列挙するに留めたい。ちなみに、第8章の下記のショットも、第1章の冒頭でクーパー捜査官と巨人が話す部屋の反復である。

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1.二つの事故

 まず、第5章から第8章までの4章では、車によるアクシデントが二度ある。一つ目は、第5章の郊外で少年が目撃する爆発事故。この事故によって爆破装置の仕掛けられた車を盗もうとした数人の男たちが爆死する。それを目撃した少年のヤク中の母親は、静かな街の裏側に潜む闇という『ツイン・ピークス』の旧シーズンのモチーフを彷彿とさせる。

もう一つは、第6章で怒り狂った青年の運転する車に母親の手を離れた少年が轢かれる事故。この場面はまた、それ以前に登場していた人物―ダブルR・ダイナーの客やハリー・ディーン・スタントンなどが目撃者として一堂に会し、前述したリンチ的な反復の演出を成立させている。『ストレイト・ストーリー』(1999年)や『ツイン・ピークス』の劇場版である『ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年)にも出演したハリー・ディーン・スタントンの現在の姿は、その存在自体が無性に感動的だ。

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ところで、前述した二つのカー・アクシデントには、前者では目撃者として、後者では被害者として、いずれも少年が関係している。少年というファクターで思い出される存在には、ダギー・ジョーンズの息子サニー・ジムがいるが、第5章で車に乗る息子とそれを見つめて涙ぐむダギー(クーパー)のカットバックにも説明不在の感動がある。この場面でもやはり、少年と車の関係性が成立している。

2.二つの抱擁

 次に、二つの「抱擁」の場面について。一つ目は、旧シーズンでクーパー捜査官がテープレコーダー越しに話しかけていたダイアン役で登場するローラ・ダーンデヴィッド・リンチの抱擁。変わり果てた現在のクーパーの姿に困惑するローラ・ダーンと、『インランド・エンパイア』(2006年)など何作にも渡って彼女を起用し続けたデヴィッド・リンチの時を経た再会の抱擁には、ファンにとっては感慨深いものがあった。この場面でのリンチのぎこちなさがまた絶妙。

もう一つは、ダギー・ジョーンズの殺害を依頼された小人の殺し屋に銃を突き付けられた時のクーパーと妻のナオミ・ワッツ。それまでは、まるで夢遊病者のように意識を剥奪されたクーパーがこの場面では、何よりもまず妻のナオミ・ワッツの身を助け、殺し屋の男を撃退する見事なアクション捌きには驚きを隠せない。これ以前の場面では一貫して夫であるダギーに怒っていたナオミ・ワッツが自身の身を守ったクーパーに駆け寄って抱きしめる瞬間には、爽やかな感動があった。この場面でも無意識下のクーパーは、動転した妻をよそに、心ここにあらずといった表情で天を見上げているのだが。

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ところで、その命を狙われているダギー・ジョーンズに対し、拘留されてはそこからの脱出を図るダークサイドのクーパーという構図には、追われるダギーと逃げるクーパーという対比が見て取れる。旧シーズンでは、追うも捕まえるも捜査官としてのクーパーの役割だったのだが、25年の時を経て、その構図は反転したことが分かる。

3.二人のローラ

 また、第5章では、25年後のツイン・ピークスにおけるローラ・パーマーと言うべき、新しいキャラクターが登場する。それがシェリー・ジョンソンの娘ベッキーを演じるアマンダ・セイフライド。定職に就かない男と付き合い、母親に金をせびっては薬をキメる彼女の破滅的な青春には、どうしてもかつてのローラが重なる。彼女は、まだ第5章のこの場面にしか登場していないが、この場面でハイになった彼女が車から天を見上げる時に見せる多幸感に満ちた表情と音楽は、この場面を本シリーズ屈指の名シーンにしている。

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 そして最後は、やはり衝撃的な第8章から。前述した巨人のいる部屋で、天に召されたかのように浮遊した巨人から朱色の水晶となって現れるローラ・パーマー。天使のごとく昇天した人物が彼女に施される演出は、劇場版のラストを否応なしに想起させ、その水晶を天から受け取った女性が口づけ、再び天井へと放つ瞬間は無性に感動する。この場面、それまでモノクロだった画面が一点だけ朱色に色づく演出もローラへの追悼のようで素晴らしい。

 インターミッションには留まらない衝撃の展開を見せた第8章を経て、残り10章を控えた『ツイン・ピークス The Return』の後半がどのような様相を呈するか、引き続き楽しみだ。デヴィッド・リンチの新作を観られる喜びは、まだまだ続く。

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