Malgré la nuit

Review of undiscovered films in Japan.

テレンス・マリック『ソング・トゥ・ソング』

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テレンス・マリックの新作『ソング・トゥ・ソング Song to Song』は、ルーニー・マーラライアン・ゴズリングマイケル・ファスベンダーナタリー・ポートマンケイト・ブランシェットといった錚々たるキャスト陣を配して描かれた恋愛映画。例えるなら『聖杯たちの騎士』(2015年)の手法で撮り直した『トゥ・ザ・ワンダー』(2012年)で、テレンス・マリック的な時空間を越境する綺麗な映像は健在。悪く言えば自己模倣的で既視感も否めないが、その映像の魅力には今作でも抗えず。その時空を越えるカッティングによってルーニー・マーラは、カットが変わる度に衣装もヘアスタイルも変貌させる。本作のルーニーがとにかく魅力的で、それだけでもこの映画には価値がある。

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本作で描かれる恋愛模様は、ルーニー・マーラライアン・ゴズリングマイケル・ファスベンダーナタリー・ポートマンという二組の恋人たちを軸に、おそらく音楽業界で成功していると思われるファスベンダーがルーニーとゴズリングにも接する形でポリアモリックな関係性が成立している。ファスベンダーとゴズリングの関係性には、成功者たるファスベンダーがゴズリングに自身のスーツを着せる場面が象徴する、ある種の師弟関係が存在する。この二人とルーニースペイン語圏の国へと旅する場面が本作のポリアモリックな側面を端的に示す。このシークエンスで椅子に座ったルーニーをファスベンダーとゴズリングが持ち上げた後のカットで二人が握手をするホモソーシャル的演出には辟易とするが。

ウエイターだったナタリー・ポートマンを口説いて結婚に至りながら、ルーニー・マーラの身体にも執拗に執着するマイケル・ファスベンダーは、『聖杯たちの騎士』でクリスチャン・ベールが演じたテレンス・マリック的な欲望と虚無を担う。故にこのキャラクターに対して私は批判的。デイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』(2017年)にも通じる役柄を演じるライアン・ゴズリングですら、本作ではルーニーの他にケイト・ブランシェットと親密になる。本作において流動的なのは、時空間のみならず人物同士の関係性でもある。対照的な二人の男性の間に位置するルーニーは、映画の後半で出会った女性と親しくなる。人物の関係性という点では、この二人が何よりも美しい。

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ところで本作には、イギー・ポップパティ・スミス、リッキ・リーといった私でも知っているような有名なアーティストたちがカメオ出演しているが、本作において音楽シーンはあくまでも背景に過ぎず、これもまた、本作のキャストと同じくテレンス・マリックによって贅沢に配置されたファクターでしかない。ただ、流動的で自由な恋愛模様と随所に流れる音楽が、本作を虚無的だった『聖杯たちの騎士』よりも享楽的にしている。

ショットに関して言えば、本作で良かったカットは全てフィックスで撮られていて、エマニュエル・ルベツキの無重力的なカメラワークにはいい加減に飽き飽きした。ライアン・ゴズリングが高層ビルのベランダからトイレットペーパーらしきものを落下させる場面や、前述した旅行のシークエンスで三人が機内で無重力状態のように浮遊する場面は、本作の当初のタイトルである "Weightless" を象徴しているが。

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はっきり言ってしまえば退屈だし下らない映画とすら思うけど、テレンス・マリック的としか言い様がない映像は相変わらず好み。70年代以降のアメリカ映画においては、私の中ではデヴィッド・リンチと並んで偏愛する存在。リンチにしてもマリックにしても、難解と評することも意味を解釈するような態度も不要で、ただその映像世界を眺めるだけで満たされる。『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)以降のテレンス・マリックは、新興宗教の教祖みたいなもので、胡散臭いと思いながらもその表層の流麗さに溺れてしまいたくなる魅力がある。本作について言えば、ふらりと立ち寄った映画館でぼんやりと眺めるのに相応しい映画で、印象的な場面は何一つ記憶に残らないけど、観終えた後の曖昧な多幸感が私は大好き。

追記)映画の感想にしては中身のない文章をだらだらと書き連ねたのは、この映画がまさに良くも悪くもそのような映画だから。