Malgré la nuit

Review of unpublished films in Japan.

デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス The Return』Part.1-4

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 デヴィッド・リンチ自身の発言によって、彼の「最後」の長編劇映画となった『インランド・エンパイア』(2006年)から11年、『ツイン・ピークス』(1990年)の新シリーズとしては、実に27年ぶりとなった『ツイン・ピークス The Return』(2017年)。全18話に渡って展開されるこのシリーズは、『ツイン・ピークス』の最新作というよりも、『ロスト・ハイウェイ』(1997年)や『マルホランド・ドライブ』(2001年)、そして『インランド・エンパイア』を経たデヴィッド・リンチの最新作としての色合いが強い作品となっている。

 実際、本作の舞台は、ツイン・ピークスの街に留まらず、ニューヨークやサウスダコタと、第4話までの時点で三つの地域に及ぶ。本作の主人公であるデイル・クーパーも、ブラック・ロッジから連なる赤い部屋にいる捜査官、サウスダコタ州バックホーンで暗躍する容貌の異なる分身、さらにはダギー・ジョーンズという名のクーパーによく似た男と、三人の分身が存在し、そのすべてをカイル・マクラクランが演じている。

 こうして、新しい『ツイン・ピークス』は、25年後の再会を果たすノスタルジアに留まらず、三つの舞台三人のクーパーを用意して、観る者を混乱させる多軸的な展開を見せる。まさしくデヴィッド・リンチ的な悪夢と呼ぶにふさわしいその映像は、時にVFXを用いながら、アーティスティックなホラー描写、コミカルなシークエンスと、監督が得意とするジャンルを横断する。そこには、彼の過去作のセルフ・オマージュを含む、デヴィッド・リンチの集大成とも言えるような説明不在の魅力がある。

 彼の作品の魅力は、その謎めいた世界を解明することではなく、謎そのものにあると思っているので、ここでは作品の解釈ではなく、前述した三つの舞台、三人のクーパーについての覚書に留めたい。あえて言うならば、すべてはブラック・ロッジにいるクーパー捜査官が見ている夢とも考えられるが、それは、この新シリーズを最後まで観なければ(あるいは観ても)分からないことだろう。

  

1.三つの舞台

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 三つの舞台のうち、ニューヨークのシークエンスの幕開けを飾る、ツイン・ピークスの田舎町とは対照的な都市の夜景のショットは、本作の舞台がツイン・ピークスの街に留まらないことを端的に示している。そのニューヨークのシークエンスにおけるグラス・ボックスの存在感。この巨大な箱から謎の怪物がガラスを突き破り、この箱の監視役の青年とその恋人を喰い殺す瞬間は、まさしくデヴィッド・リンチ的な悪夢で、同時にある種のシュールさもある。

 サウスダコタ州バックホーンのシークエンスにおける、アパートの一室で発見される腐敗した死体にも、このシュールな悪夢という言葉が当てはまるだろう。片目が撃ち抜かれ、頭部と胴体が切断された状態でベッドに放置されたこのアーティスティックなボディ・ホラー的存在も一度観たら二度と忘れることはできない、まさしく悪夢的なファクターだ。

 また、ツイン・ピークスを象徴する赤い部屋のシークエンスでは、25年後のクーパーとローラの再会という感動的な場面も、ローラが自らの顔を「取り外す」瞬間、かつてのようにクーパーとキスを交わし、耳元で何かを囁いた直後に上空へと吸い込まれるようにして消えていくことで、やはりシュールな悪夢へと回収される。

 ところで、ニューヨークのカップルは、グラス・ボックスから現れたモンスターに顔面を喰い殺され、サウスダコタの死体も片目を撃ち抜かれた状態で発見され、そして、赤い部屋のローラも自身の顔を「取り外す」。後述するサウスダコタでのクーパーも自身を裏切ろうとした仲間を殺す際に、やはりその顔に枕を押しつけて窒息させている。『ツイン・ピークス』の新シーズンにおいて、身体への暴力性は、すべて頭部に集中していることが分かる。

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2.三人のクーパー

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 本作には、それぞれ風貌や行動の異なる三人のクーパーが登場するのだが、その三人のクーパーの流動的な関係性が垣間見えるのが第3話の冒頭だろう。このシークエンスではまず、捜査官としてのクーパーが宇宙的な空間へと接続する暗い部屋におり、彼は、数字の3が記されたマシーンの穴へと吸い込まれ、靴だけを残して消えていく。クーパーが吸い込まれたその穴は、サウスダコタ州バックホーンを拠点とする犯罪者としてのクーパーの運転する車とカットバックで接続する。その犯罪者としてのクーパーは、郊外の住宅にいるクーパーとよく似た男と嘔吐という行為で連動する。黄色いスーツを着てダギーと呼ばれるその男は、嘔吐した後、捜査官としてのクーパーがいた赤い部屋に移る。そこでダギーの身体は伸縮し、今度は、ダギーのいた部屋のコンセントから黒いスーツを着たクーパーが現れる。ここで最初に捜査官としてのクーパーがいた空間とダギーと呼ばれる男のいる住宅が接続していることが分かる。

 こうして以降は、捜査官としてのクーパーがダギー・ジョーンズという名の男の日常世界に迷い込む形式で物語が進行する。この捜査官としてのクーパーには、主体的な意識や行動が伴っているようには見えず、まるで夢遊病者のように存在する。しかし、犯罪者としてのクーパーがサウスダコタを拠点としているのに対し、捜査官としてのクーパーは、赤い部屋や宇宙的な空間、さらにはダギー・ジョーンズのいう名の男の日常世界と、様々な場所へと「移動」する。

 捜査官としてのクーパーの移動性は、第1話のニューヨークにも波及し、赤い部屋の床の裂け目から暗闇へと落下したクーパーは、前述したグラス・ボックスの内側に移動する。その中で彼は、まるで無重力状態かのように浮遊している。前述した宇宙的な空間といい、捜査官としてのクーパーは、意識だけでなく、時に重力までもが剥奪される。

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3.セルフ・オマージュと25年後のツイン・ピークス

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 前述した犯罪者としてのクーパーが車を運転するマウンテン・ロードは、『ロスト・ハイウェイ』のドライブ・シーンを想起させるが、本作には、他にもデヴィッド・リンチの過去作のセルフ・オマージュのような場面が存在する。

 第4話でカジノで大勝したダギー・ジョーンズ(クーパー捜査官)が自宅へ帰る場面で、彼の妻を演じているのがナオミ・ワッツ。彼女のピンクのカーディガンとブロンドの髪は、否応なしに『マルホランド・ドライブ』での姿を彷彿とさせる。翌朝、彼女が用意したコーヒーをダギーが吐き出す場面も、やはり同作の映画製作の交渉シーンを思い出さずにいられない。

 また、第1話の終盤、アパートの死体の殺人犯として逮捕された男の車から警察官が発見する小さな肉片らしき物体も、『ブルー・ベルベット』(1986年)で発見される片耳に通じる謎めいた魅力がある。

 

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 そして、最後に25年後のツイン・ピークスの光景として、感動的な場面を二つ。まずは、第4話に登場する保安官となったボビー・ブリックスがローラー・パーマーの写真を見て号泣するシーン。この場面で彼の涙を見たルーシーとアンディの夫婦が手をつなぐ瞬間も忘れ難い。

 もう一つは、第2話のラスト、ロード・ハウスでシェリー・ジョンソンを見つめるジェームズ・ハーレーの眼差し。25年の時が隔てた、ツイン・ピークスの住人たちの距離感には何とも言い難いものがある。ロード・ハウスでクロマティックスというバンドが歌う "Shadow" が同一カットには収まることのない、この曖昧な形で果たされる再会を演出する。

 この悪夢的な映像世界を締めくくる音楽は、かつてジュリー・クルーズが歌っていた曲の代替効果があると同時に、『ツイン・ピークス』とフィリップ・グランドリューがデヴィッド・リンチ的な世界をパリで再現した『夜にもかかわらず』(2015年)を接続させる。

 

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 『ツイン・ピークス』の27年ぶり続編ではなく、デヴィッド・リンチの最新作としての『The Return』。先日の発言が「引退宣言」と受け止められたD・リンチだが、このシリーズは、むしろ彼の天才性がいまだ健在であることを大胆不敵に宣言している。25年後に「復活」したのは、『ツイン・ピークス』ではなくデヴィッド・リンチだった。